パリオリンピック2024~開会式当日のパリ<フランス・パリ>/Paris

2024年7月26日(金)
この日、フランス・パリは、100年ぶりに迎えたオリンピックに沸き立っていました。
パリで開催されるオリンピックは、1900年、1924年に続き3回目。
昼過ぎから街に繰り出してみると、パリど真ん中が、警察だらけの厳戒態勢と車が走ってない(歩行者天国状態)風景とで異様な雰囲気の中、街散歩してきました。

開会式前後はパリ中が、特にセーヌ川沿岸が規制だらけだったこともあり、その周辺を生活圏にしているパリ市民や商売している人たちの多くがパリを脱出したせいか、いつものメトロの混雑ぶりは感じませんでした。

すべてのメトロ車内の路線マップには、閉鎖されていて期間中は止まらない駅を示すサインが掲示されていました。パリ市内のド中心地に隣接する駅およびセーヌ川付近の主要駅は大体それ。

ルーヴル美術館は、敷地に入ることも完全シャットアウト。

ルーヴル美術館に行きたい人は、事前予約者のみ制限されたエントランスから入場可能。

通行QRコード「PASS JEUX」(←事前申請)によってゾーン規制されてるエリアは混乱が懸念されていましたけど、ボランティアスタッフ含め徹底した管理で、まったくもって終始平穏な様子でしたよ。

たぶん、生きてるうちで最初で最後だろう、凱旋門周辺に車がまったく走ってない光景なんて。中心地の路地は、いつもびっしりの路駐ですら1台もありませんでした。

人気スポット「アレクサンドル3世橋」(Pont Alexandre III)は、セーヌ川ギリギリまで寄れる場所ということで、多くの人でごった返していました。

開会式の日、パリは雨でした。雨降る中、各国選手団の入場行進が行われたセーヌ川からの映像は、後日見て心中お察しする映像でした。あの寒さ、体験してましたからね。

パトルイユ・ド・フランス(Patrouille de France)のアクロバット飛行は残像だけ。

通行QRコード「PASS JEUX」のゾーン規制はうまく機能していたけど、メトロはダメでした。 終日、乗り降りできない駅は事前告知で認識してたけど、駅毎の一部出口の封鎖や乗り換え禁止は情報がなく、構内あちこちで混乱と衝突が頻繁で、フラストレーションぶつけ合う光景をよく目にしました。

陽も暮れだし、いよいよ開会式が始まる1~2時間前。車の横行や路駐のない街から更に人もまばらになり、いつものパリじゃないみたいだ。

遡ること、第2回パリ大会(1900年)の時に、初めて女性アスリートがオリンピックに出場したそうです。
そして、パリオリンピック2024の日本代表メダル第1号は、柔道女子48キロ級の角田夏実選手。女性アスリートからはじまった、日本代表陣の大活躍ぶりはみごとでした。
開催国フランスは、柔道競技人口が日本の4倍にして柔道強豪国。そこを相手に、そして、
強い女性の象徴「ジャンヌダルク」(Jeanne d’Arc)がピラミッド広場から睨み効かせる中で健闘した角田夏実選手はじめ日本代表女子アスリート陣は素敵でした。

パリに響き渡った歌声

長旅と長時間の街歩きとで疲労困憊。聖火とセレモニーはバルでワイン飲みながらゆっくりまったりと観賞です。
パリ市内、街中のバルがパブリックビューイングで開会式を放映していて、あちこちから賑わう声や歓声が漏れ伝わってきました。
それを一瞬にして打ち消したのが、セリーヌ・ディオンの歌声。彼女が熱唱したエディット・ピアフ「愛の讃歌」(L’Hymne à l’amour)は、気持ち、静まり返ったパリ中をエコーのように響き渡るようでした。

2週間後、再びパリ

ストラスブール、エヴィアン、ボルドー、アルカション、マルセイユ、リヨン、シャモニーモンブランを巡り、2週間後、再びパリへ。
閉会式を3日後に控えたパリは、尚もオリンピックの熱を帯び、開会式のゾーン規制もなくいつものパリに戻ってました。

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