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Toggleヴィッテル (Vittel)
コントレクセヴィル(Contrexéville)から車で30分、ここも古くから温泉地として知られる村、ヴィッテル(Vittel)。象徴であるスパ「Thermes de Vittel Cures thermales Spa」は、1856年から続く老舗です。
スパは、緑豊かなテルマル公園(Parc Thermal)内にあり、広大な敷地内には、スパ以外にホテルやカジノ、CLUBMEDのアクティビティ等々併設する、ヘルスツーリズムのまさにパイオニアの地です。
また、コントレクセヴィル同様、ミネラルウォーターブランドとしても世界に名が知られ、ヨーロッパでの売り上げはエヴィアンに並び、トップ2を占める人気のボトルウォーターです。
温泉地、ヴィッテルを散策する
ヴィッテルも公共交通機関を使ってのアクセスが難儀なので、コントレクセヴィルと併せて車での訪問をお勧めします。一応、駅(GARE DE VITTEL)はこんな感じ。
観光地でもなく、これといって見所となるものないので街は閑静な趣です。
駅近くの駐車場に車を停めて歩くこと5分、テルマル公園(Parc Thermal)の入り口です。
ヴィッテルの歴史
紀元前64年
ガロ=ローマ時代(Gallo-Roman period)には、痛風治療のための温泉地として存在。
1854年
ルイ・ブールミエ(Louis Bouloumié)氏は、ヴィッテル温泉水が消化器系に良い効果をもたらすことに注目、源泉地「グランド・ソース」を取得。
1855年
源泉を利用したヴィッテル温泉を建設。翌、スパ施設スタート。1857年からは、温泉水を陶磁器に詰めて販売。
1860年
スパが本格化、温泉施設を拡張し、ホテルと公園も建設。多くの著名な医師、建築家、芸術家に愛用され、フランス国内外にヴィッテルの名が知れ渡る。
1869年
ルイ・ブールミエは、医師の息子ピエールと弁護士で後にヴィッテル市長となった息子アンブロワーズに跡を継ぎ、彼らと共にヴィッテル駅を開発。
1882年
ミネラルウォーター会社「Société Générale des Eaux Minérales de Vittel® 」(SGEMV)を設立。ヴィッテルミネラルウォーターの販売開始。
それに伴い、鉄道路線の強化、遊歩道のギャラリー改修、新温泉施設増築、グランドホテル、カジノ、コンサートホール建設などリゾート化を促進、温泉訪問者が増大する。
1898年
家庭での治療を目的に、ガラス瓶入りのヴィッテルミネラルウォーターの販売開始。関節炎の治療薬として知れ渡る。
1903年
ヴィッテルミネラルウォーターが、医学アカデミーによって公益性のある水として正式に認められる。ヨーロッパ各国への輸出開始。
1929年
ボトルウォーターの売上が伸び続けたため、鉄道駅に直結した近代的なボトリング工場を建設。これにより、治療の延長ではなく、毎日摂取する水として販売されるようになる。
1968年
航空会社「エールフランス」の依頼により、乗客の食事トレイ用プラスチックボトルを設計。ガラスボトルからプラスチックボトルへ、薬局からスーパーマーケットへの時代へ。
1990年
増大する国際的需要に対応するべく、第2の供給源を採掘し、1990年に天然ミネラルウォーターとして認定、1991年にはフランス国外向けのボトリングとして許可される。
1994年
ボトルがPETへと移行。100%リサイクル可能な容器へと進化。
1998年
革新的なキャップ「スポーツ・キャップ」を備えた新しいボトル形式を採用。ハイカーやアスリートたちの間ですぐに受け入れられる。
2008年
世界で3番目に大きなスポーツイベント、「ツール・ド・フランス」の公式パートナーとなり、以後毎年約100万本のボトルを配布。また、パリハーフマラソンとパリマラソンの公式パートナーにも就任。
2019年
ヴィッテルは、100%リサイクルされ、100%リサイクル可能なペットボトルを発売した史上初のブランドとなる。
Thermes de Vittel Cures thermales Spa
ヴィッテルの飲泉場は、ステンドグラスから神々しく光が射し込む、神秘的なところにあります。
この近くに、採水が始まった聖地「グランド・ソース」があり、1856年からの歴史がパネルに綴られています。
ヴィッテルの夕陽
驚くことに、ヴィッテルには世界唯一のミネラルウォーター専門の研究所があって、ヴィッテルの水を徹底管理しているというからすごいですね。
そんな、ただでさえ高貴な水を惜しげもなく使用するスパで受けるウォーターマッサージやジェットバスは高レベルなクオリティー。コントレクセヴィルと共にフランスの温泉スパ文化はタラソテラピー(海水スパ)文化と併用してヨーロッパのリラクゼーション市場の最前線を今も尚走り続けています。